「海街diary」の映画化を記念して、吉田秋生の過去作品から、個人的に好きなものを紹介したいと思う。
吉田秋生(よしだあきみ)
1956年東京都渋谷区生まれ
1977年「ちょっと不思議な下宿人」でデビュー
1983年「河よりも長くゆるやかに」「吉祥天女」で第29回小学館漫画賞
2001年に「YASHA-夜叉-」で第47回小学館漫画賞を受賞
2006年より「海街diary」を不定期連載中
作品レビュー
楽園のこちら側~夢みる頃をすぎても
別冊少女コミック 1977、79、80年
プチフラワー 1982年掲載
黄菜子・恭一シリーズと呼ばれる、5つの短編からなる物語。掲載間隔に開きがあり、作中のキャラクターはリアルタイムで年を重ねている。
前半にあたる「楽園のこちらがわ」「楽園のまん中で」では、進学校から三流高校へとドロップアウトしてきた猿渡基(サル)の視点で、大学受験という現実に対する葛藤や新たな仲間たちとの友情、黄菜子への淡い恋心が描かれる。
つづく「はるかなる天使たちの群れ」では、「楽園~」の二年後、もうすぐ二十歳を迎える彼らがそれぞれにゆっくりとした足取りで大人の階段を上っていく様が二編に渡って描かれる。黄菜子は恭一に押し切られる形で関係を持ってしまったことで複雑な心境となる。一方、未だに黄菜子への未練を断ち切れないサルは、自分と近い境遇にある今日子との対話から心の整理を付けはじめる。
さらに二年後、「夢みる頃をすぎても」において黄菜子は、中学の同窓会を通じて、既に通り過ぎてしまった少女時代の自分との距離を認識する。
10代後半における青春の日々を描いた連作。黄菜子の5年間にわたる成長が妙に生々しく、少女が大人へと変わりゆく過程は無性に切ない。とは言っても、夢見る頃を過ぎてしまったらしい黄菜子はまだ21なのだが。
しかし少女漫画というのは昔から対象年齢が高めなのだなあ。
十三夜荘奇談
プチフラワー1981年掲載
安アパート住まいの美大生、達郎は七人兄弟の四番目という出自からか自己主張が下手な性格であり、自分の将来に対してもぼんやりとした考えしか持てないでいた。
ある冬の日、アパートの押し入れに見知らぬ男が倒れているのを発見する。彼は自分のことに関して何も覚えていなく、仕方なしに達郎は彼と同居することとなる。
風変わりだが、嘘のない目をした彼との日々は、達郎に悲しい記憶を思い出させる。
ファンタジーな要素がうまくはまった叙情性豊かな短編。吉田秋生は短編でこそ輝く作家だと思っている。
淡々とした雰囲気と冬の景色が良く合う。ラストのモノローグの余韻が心地よい切なさを感じさせる。
ナチュラルにモデルを輪姦する美大生やそれを受け流す主人公は倫理的にどうかと思うけども。
河よりも長くゆるやかに
プチフラワー1983~85年連載
米軍基地のある町に住む、高校生のトシ、深雪、秋男は青春真っ盛り。三人は、家族や友人、恋人関係など決して明るく楽しいだけではない日常の中であっても能天気に性欲を持て余す悶々とした日々を送っているのだった。
何でこれが少女漫画誌に載っていたんだろうと思わされる男子高校生の日常を描いた漫画。全編を通して下世話かつコミカルであり「楽しい」作品である。とはいっても勿論ただ楽しいだけではない。
トシは家庭環境の問題から姉と二人暮らしであり、金の為にアメリカ軍人に女の子を紹介したり、バーテンをやりながらヘルプとしてゲイバーで働いたりしているし、深雪は金持ちの息子であるが、それ故に何度も誘拐された過去があったり、自分と父親の血が繋がっていないことを知っているなど、それぞれ暗い背景を背負っているのである(秋男は特に無いが)。それでもあえて能天気な日常を送る彼らの逞しさは何だか眩しいものだ。
連載期間が二年にわたるため前半と後半で絵柄が異なり、そのせいか物語の印象もドライなものからコメディ調へと変化している。
三原純子(「よりこ」と読む。何でこんな名前つけたのか。)というキャラが好きだ。ちょっとツッパってるけど繊細で自分の気持ちを打ち明けられない子である。実はこういうキャラは吉田作品には珍しいかもしれない。
桜の園
LaLa1985~86年掲載
4編からなる連作。
アントン・チェーホフ作の戯曲「桜の園」を毎年春の創立記念日に演じる伝統を持つ桜華学園演劇部。そこに所属する少女たちを通じて、多感な時期の心の葛藤や繊細な人間模様を描く。
女子高の雰囲気はこういうものなんだろうなと感じさせる。こんな美しくねえよといわれても聞く耳は持ちませんが。伊集院光もそんなことを言ってた気がする。
吉田作品には「少女が大人へと成長していく過程で喪失してしまうもの」というモチーフが繰り返し描かれるが、本作もその一つである。
「花冷え」の中野敦子はそれが恋人との進展によって失われる「ぎこちないキス」であり、「花酔い」の清水由布子は自分に対する男性視点への嫌悪によって失われた「従兄への初恋」である。
個人的には「河よりも~」の対になっている作品ではないかと思う。そう考えると、男の方は「悲しいほどに能天気」なんだなあと。
吉田秋生の絵のタッチはデビューから今に至るまで変化を遂げてきたが、この頃が個人的には一番好きである。トーンの使用が少なく、白い背景にベタが映える画面のシンプルさが、多用される独白を強調していると感じる。
「30分もならんでアイスクリームを食う男」に時代を感じる。
Fly boy,in the sky
LaLa1984年掲載
自分の将来に対しての結論が出せないまま悶々としていた美大生の伊部は、不意にテレビで棒高跳び競技の決勝戦を見る。優勝を逃した選手である奥村英二の悲しげな表情にひどく心を動かされた伊部は、デザイン大賞に応募する写真の被写体に彼を選ぶ。
伊部は島根の山王寺高校へと奥村を訪ね、彼との交流を通じて忘れていた感覚を思い出す。
後付けでBANANA FISHサーガに組み込まれてしまった感のある短編。個人的にはそういった見方は良しとしたくない。飽くまで独立した短編作品としておきたい。
伊部が島根を発つ際に奥村に語るくだりを見ると、不覚にもホロリとしそうになってしまう。年のせいではないのだが。
BANANA FISH
別冊少女コミック1985~94年連載
1985年ニューヨーク。ストリートキッズのボス、アッシュ・リンクスは絶命間近の見知らぬ男から「バナナフィッシュ」という言葉と共に謎の薬物を託される。
言わずと知れた吉田秋生の代表作。リアルなアメリカを背景にハードな世界観と壮大なスケールで描かれるアッシュとエイジの友情の物語。
単行本にして全19巻、連載期間10年に及ぶ大作で、吉田秋生のターニングポイントとなる作品。人物の内面描写に焦点を置いたこれまでの作品とは一線を画し、ストーリーに重きを置いた作風が特徴(後半はいつものようになるが)。
82年ごろから色濃くなってきた大友克弘風のタッチが本作の中盤あたりで完成される。その後は耽美な方向へと変化し現在の画風に至る。同じ時期に描かれた作品と比較しても、本作は意識してより濃い絵柄を用いていると思われる。
前半部の硬質な絵柄や軽妙なセリフ回しが醸し出す独特の雰囲気は洋画を見ているような感覚を与える。
初めて触れた吉田作品であるために思い入れも深いのだが、今となっては吉田秋生という作家は短編~中編の方が完成度が高いと思うので、世間で言われているほどの名作感を本作に感じない。個人的にはどうもエイジの存在が苦手である。それでも読み始めると止まらなくなるのだが。
ラヴァーズ・キス
別冊少女コミック1995~96年連載
鎌倉に住む高校生男女6人の複雑に絡み合った人間模様をそれぞれの視点から描くひと夏の物語。全3篇6話。
「boy meets girl」
悪い噂のこと欠かない金持ちの息子で美形の藤井朋章と、どこか投げやりで自暴自棄気味な川奈里伽子。早朝の浜で言葉を交わしたことをきっかけに二人は関係を持つ。里伽子は噂とは異なる朋章の内面に触れ、二度と訪れることが無いと思っていた自分の恋心に気付く。
鷺沢高尾は中学時代のバスケ部の先輩である朋章に憧れを抱いていた。朋章は中三の夏を境に人が変わったように荒んでしまうが、その後も高尾は彼を見続けていた。
高尾の後輩である緒方篤志は、中学の時に高尾に一目惚れし、高校入学後も高尾と同じ部活に所属する。次第に高尾が朋章のことを想っていることに気付いた緒方は、高尾に心の内を告白する。
里伽子と妹である依里子(えりこ)は幼い頃こそ仲の良い姉妹であったが、現在の関係は冷えたものとなっていた。
美樹が里伽子のことを親友以上の目で見ていることを知っている依里子は、里伽子に対して悪い感情を抱き、朋章のことを言及するが、里伽子の普段見せない感情的な態度を受けて少しづつ彼女を理解し始める。
朋章と里伽子の関係を中心として、隣人たちの友情の延長線上にあるような淡い同性愛が描かれる。
同じ時間軸の物語が多面的な視点で描かれており、音楽室のシーンでそれらが交わる構成なども面白い。
「桜の園」にも似たモチーフを現代的な観点(と言っても20年前だが)で描いている。鎌倉が舞台であり、「海街」と作品世界を共有する。
「BANANA FISH」以降の作品の中では本作が一番好きだ。やはり中編程度の長さだと安定の面白さである。
しかし吉田作品におけるメガネ男というのは報われない人間ばかりなのだなあ。
といった感じの7作品でした。
吉田作品には映画化された作品が数多くあるのだが、あまり良い噂を聞いたことがない(見たこと無いので判断できません)。
果たして「海街」の映画版はどうなるのでしょうか。
レンタル出たら見てみます。