久しぶりに読み返したので書く。
以前の記事では梅川一期の生涯と彼の生きた戦後昭和の時代遍歴とを重ねて考察したが、今回は物語のメインテーマである父と子の物語という側面に焦点を絞って語ってみたい。
基本的にネタバレなので未読了の方は注意願います。
今回は割と硬めの文章でございます。
鬼を生むもの
一期が殺人に自分の存在理由を見出していく契機となったのは、幼い頃より抱いていた自分の不完全さの補完が、友人を殺すことによって得られてしまったからだ。
自分の元から離れていく文也(転校による物理的な、偽りの傷の告白による精神的な)という自分ではどうにもできない状況を自分の力で能動的に変えることが出来てしまったことがその理由だろう。
この時点ではあくまで人を殺めるのは手段であって目的ではなかった。
続く寒村での衝動的な(計画的?)行動で得られた感触で完全に処世術として確立されてしまう。その後は生きている実感を得るという理由から殺人が続けられていく。
さて、一期の抱えていた「不完全さ」とは何だろうか。
それは片方の肺を失ったいびつな体のことではない。
本作は親に認められなかった子たちの反逆の物語である。
父、源二郎の存在とエディプスコンプレックス
子は大人になる過程で親殺しを成さなくてはならない。これは「エディプスコンプレックス」と呼ばれる、自我の形成のために必要な過程である。原語的には、父を殺し母を得るというもの。
男の子なら父を超えるのが大人になるための一つのステップであるという話だ。
一期の父源二郎は非常にエネルギッシュな人間であり、物語冒頭からその胆力の強さが十二分に描かれている。
一期は圧倒的な存在感の源二郎に対して気後れを感じながら、徐々に自分の居場所を作っていく。
文也を殺めてから作中では時間が経過してその間のことは語られないが、高校生となった一期は源二郎に対してボブ・ディランの詩を引用するなどして自己主張を強めていく。しかし、面と向かって父を圧倒出来るほどの力はまだ無く、その感情は父の言いなりとなっている弟利行に対してわずかに発露されるに留まる。利行は父側の人間であるという認識の表れだろう。
寒村での出来事を源二郎に言及され、一期が一方的な制裁を受けるという場面がある。
この時源二郎は葛藤する。自分の不始末として一期を殺すほどの勢いで暴行するが、やはり殺せない。自分の息子だから殺すことが出来ない。
それは一種の愛情の形ではあったのだが、一期には伝わらなかった。これが一番の悲劇である。
その後一期は親元を逃げるようにして離れる。
そして同じように親からの愛情を十分に受けることが出来なかった、美里、久保と共に暮らし始める。
積み重ねられる親殺し
一期が高校生の頃、三人の大人が登場する。
一期を殺人犯として追う刑事の武村。
一期に歪んだ性欲をぶつける体育教師の尾上。
そして一期を理解して力を与えるヤクザの岩井。
結果的には三人とも一期の手によって殺されてしまうが、それぞれ役割は異なれど擬似的な父親像を持って一期の前に現れる人物である。
武村は一人の人間として一期に興味を持ちだし、人が人を殺すことは許されることではないと諭すも、自分が生きるための術を行使して何が悪いのかと反発され、谷底へ落とされる。倫理的ではあるものの自分に対して無理解な大人として描かれる。
尾上は、一期の劣等感を刺激し、立場を利用した圧力で一期を玩具のように扱い、性欲の対象とする。一期の存在を否定する大人として描かれている。
そんな大人たちの中で唯一岩井だけは一期を理解する大人として登場する。岩井は一期の殺人衝動を社会化した人間であり、保護者であった。岩井は初め一期を利用するというスタンスであったが、次第に気心が知れて兄弟分のようになる。そして一期に恐れを抱くようになり、裏切りを謀る。
一期が再び岩井の前に現れた時、復讐する気はなく、実感を求めて帰ってきたのだと告げるが、岩井はこれに理解を示さない。自分を理解しない、既に道を違えてしまった岩井を、一期は執拗に何度も銃を乱射して殺してしまう。それは決別の意思であり、親を乗り越える儀式としての側面が強いのだろう。
これまでに殺めた人物たちと異なり、岩井の遺体はコンクリートで固めて、目の届く事務所内に置いていた。一種の弔いの意だと思われる。
そして、岩井を殺めた直後「俺は都を作る」と久保に告げ、ようやく自分で自分の道を歩み始めるのだ。
利行 兄を乗り越える術
兄一期を反面教師として育った弟利行は、兄と反対の行動をとることで周りから認められ、自分の存在を肯定してきた。
一期の視点では、弟は父と同じ側の人間であり、自分の対岸にいる存在であったが、利行の視点ではこれが異なる。
利行は父の敷いたレールを歩んできたが、父に対する反抗心は元来強く、それはどこまでいっても二男である自分を心底認めることが無い父に起因する。
父も母も優秀な自分でなく劣等生の兄により大きな愛情を注いでいるという思いが強く、故に兄に対して憎悪に近い敵対意識を持つが、それと同時に巨大である父に対して反逆する兄を羨望する面もあり、自我の獲得のために超えるべき壁が二つ存在するという状況であった。
物語終盤、利行は一期を殺したことによって、自我形成過程の脆弱さと向き合うこととなる。
そして唯一自分の意思でとった行動はアメニティシティのシンボルたるビルの破壊であった。
夢幻のように存在感の無い鏡面のビル。これは利行のアイデアで成されたものであるが、実体感の無さ(と自分が辿ってきた過去)を破壊することで自己を得ようとしたのではないだろうか。
ダイナマイトで爆破されたビルの残骸は強烈な存在感を示した。一期が言っていた「死体になって迫力が増した」ということである。同じ思考が流れているのだ。
灰燼に帰す
互いが互いを乗り越えるために存在を否定しあう兄弟をよそに源二郎は老衰で息を引き取る。
父の作り上げたものを壊すということは達成できたが、梅川兄弟は強大な存在の父に抗う以上のことは出来なかった。
母に抱かれることも、父に認められることもなかった一期が、生涯をかけた歩みの果てに辿りついたのは自己肯定の為の破壊だけだったのだ。