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32bit次世代機戦争と1996年のビデオゲーム【僕らは時代が変わる瞬間を見た】

投稿日:2016年2月21日 更新日:

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そういえば1996年だった

 20年前の僕らは胸を痛めてドリカムなんかを聴いてた。バブル崩壊から5年。時代は病んでいるなんて言われてたけど、そんなのはエヴァンゲリオンを観た社会学者の頭の中だけだったのかもしれない。
テレビが言う女子高生はみんな援助交際してるみたいな言い草にはムカついていたけれど、みんなスカート丈は膝上15センチでルーズソックスだったし、男は腰履きでケツ出して電波少年なんかにマジで感動してたりした。
ケータイなんて持ってなかったからみんな8センチのCDを120万枚も買っていたわけだし、エアマックスなんかは手に入らないからカッコいいって勘違いしてたんだ。
少年ジャンプが発行部数を誇らなくなったことについて金田一少年は推理しなかったし、僕らはスクウェアのせいで繋がらない十字キーに指を痛めることになった。

そんな、近くて遠い20年前のあの日を、当時触れたモノたちから何となく思い出してみようと思ったんだ。

僕らはあの頃確かに時代が変わる瞬間を見た。

1996年のゲーム・キッズ

blog_import_5019ebe2b2ac1 僕らはゲームしかしてなかったんじゃないかとさえ思う。
 
「次世代機」とよばれた32ビットの家庭用ゲーム機は、最終的にプレイステーションとセガサターンの一騎打ちへと落ち着いた。
両ハードともソフトが充実しだし、家庭に普及し始めた96年1月、「ファイナルファンタジーⅦプレステで発売」の報道によって状況が大きく変化する。
 
発表当時はまだサターンが優勢だった。アーケードゲームの移植や、ギャルゲーなどの濃いゲーマー向けソフトが目玉となり、出荷台数を伸ばしたサターン。

一方プレイステーションはCMのコンセプトからもわかるようにライトユーザーの獲得を目指していた。

6月に発売された最後発のNintendo64は上記二機種の牙城を崩すには至らなかったが、購買層が若干異なっていたことから独自の路線を進むこととなる。任天堂一強の時代は既に過去のものとなりつつあった。

翌97年1月に発表された「プレステでドラクエⅦ発売」のニュースによって完全に決着がついてしまい、現在へと続くソニー優勢の流れがこの時生まれた。

子供だった僕らにはハードのスペックの優劣なんか全然関係なかった。
ただ純粋に「何が遊べるのか」という一点に興味があったんだ。

ハード別1996年の状況

ハード別に当時の状況と主なソフトを紹介する。
6月にNintendo64が発売されたことで、94年から始まった次世代機競争は全ての役者が出揃ったこととなる。
発売から2年近くが経ち、ハードごとに明暗がはっきりと分かれてきたのがこの頃。

セガサターン (セガ)

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1994年11月発売。
発売時44,800円(定価49,800円)だった価格は値下げ合戦の果てに20,000円まで落とさざるを得なかった。プレステに比べコストの下げにくい構成だった為に苦戦を強いられることとなる。

次世代機を謳いながらも2D表現に特化したその性能は未来を掴むことが出来なかった。

96年の時点では次世代機でトップのシェアを誇っていた。
そして徐々に後退していくこととなる。

ヴァンパイアハンター


この移植度には当時度肝を抜かされた。まんまじゃん!て。

THE KING OF FIGHTERS ’95


NEOGEO CDを買ったSNK信者の恨み節たるや。

サクラ大戦


後半の展開が未だに許せない人、挙手。

エネミー・ゼロ


今は亡き飯野賢治が最も露出していたのがこの頃。

プレイステーション (SCE)

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1994年12月発売。
印象に残る奇抜なCMが多かった。ハード戦争はサードパーティの獲得こそが最大の武器であるということを嫌と言うほど教えてくれた存在。
ウィンドウ1枚出すにもポリゴン上にテクスチャで描くという3Dに特化した性能。
出足こそ悪かったものの確実にシェアを広げていった。
96年1月のFF7事変によりトップへと躍り出る。

バイオハザード



全く新しいゲームに触れたような気がした。
ラジコン操作に馴れなかった。

鉄拳2


個人的にはVFよりこっちの方が馴染み易かった。
特にガード。

レイジレーサー


三作目にして雰囲気がガラっと変わった。見えない壁にぶつかりまくる。

アーク・ザ・ラッド2


ようやくまともなRPGが出たって印象。前作の短さに反してすごく長い。

Nintendo 64 (任天堂)


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96年6月発売。希望小売価格25,000円。
コントーラ付属の3Dスティックは「さんでぃーすてぃっく」と読む。
低コストな光学メディア(CDROM)を拒否し、処理速度の速いロムカセットを選んだ三代目のファミコン。正式発表前は「ウルトラファミコン」などと呼ばれていた。
任天堂らしい堅実な作りは魅力的であったが、発売が遅すぎたため、実質的にハード戦争とは別のところにいたように思える。子供受けは良かった。

スーパーマリオ64


オープンワールド的な進化を遂げた新世代マリオ。
2Dマリオで培ったプレイ技術は全く役に立たなくなってしまった。

ウェーブレース64


水の質感がすごく気持ち良くて涼しげ。でも秋に発売した。今でもやる。

パイロットウィングス64


これを一番遊んだ。地味ながら良作。ジェットが楽しい。写真撮るの難しすぎ。

ワンダープロジェクトJ2


CMのせいで正当な評価が与えられなくなってしまった。そういうゲームじゃねえから。

スーパーファミコン (任天堂)

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96年1月、優良サードパーティへ対してロイヤリティを下げたため、ソフト価格の高騰化に歯止めがかかる。8月には本体の希望小売価格を9,800円へと変更する。(元は25,000円)

ソフトの発売本数も減り、少しづつ過去のものとなっていったスーファミ。それでもギリギリ頑張っていたのがこの頃。

ドラゴンクエスト3


追加要素と美しいグラフィックでリメイク。私はファミコン版が好きですが。

バハムートラグーン


女の子ってこういうもんだと今でも思ってる。

スーパーマリオRPG


任天堂×スクウェア。後に両社は袂を分かつわけだが、そんなこと関係無く名作。

スーパードンキーコング3


この時期において180万本も売れたバケモノソフトである。

ゲームボーイ (任天堂)


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89年4月発売。

96年2月に発売したポケットモンスターが口コミでじわじわと売り上げを伸ばし、死に体であったゲームボーイの市場を復活させた。

ブームとなった翌年以降、雨後のタケノコの如く「ポケモン型」のソフトが数多く出回る。
現在に繋がる携帯ゲーム機の直接的なルーツはこの時にある。

ゲームボーイ pocket


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96年7月発売。希望小売価格6800円。

ポケットと言いつつ、ズボンの尻ポケットに入れるなと書いてあった。(破損事故防止)

本体は一回り小さくなり、薄くなった。液晶の質がグンとあがり、本当に白黒になって見やすくなった。電源は単3電池4本から単4の2本へと省エネ化した。
初期型はバッテリーランプが無い。
後にカラーバリエーションも出た。

ポケットモンスター(赤/緑)


予約して買ったらだだ余りだった発売日。アニメ化以降急速に対象が低年齢化してしまった印象。

風来のシレンGB


こればっかやってた。フェイの問題難しすぎ。

モグラ~ニャ


宮本茂制作。任天堂製パズルアクションにハズレ無し。

アーケードゲーム

300px-CPS2前年の95年にピークを迎えた対戦格闘ゲームはこのあたりから徐々に勢いを失っていく。
一見お断りの雰囲気やどんどんマニアックになっていくゲームシステムなどを理由に、新規参入者が減っていったからである。
格ゲーもまた、シューティングと同じ道を歩むのだった。
とは言え、まだまだ魅力的なタイトルは健在でありゲームセンターはツワモノどもの戦場であった。

THE KING OF FIGHTERS’96


’95とは全然違うゲームになった。新規で描き下ろされたドット絵はこの先10年に渡って使われることとなる。

ストリートファイターZERO2


ストZEROの続編と言うよりは完全版と言った方がしっくりくる。稼働してすぐ移植版が出た。

沙羅曼蛇2


なぜかこの時期に出た10年ぶりの続編。前作が名作過ぎる為に評価は芳しくなかった。

ウォーザード


カプコンのアーケード基盤CPS-3の第一弾タイトル。現在に至るまで移植されていない。なんで?

メタルスラッグ


芸術レベルのドット絵がたまらない。今見ると結構血が出てるね。

クイズなないろDREAMS 虹色町の奇跡


こういうの多かった気がする。プレイ経験は無い。

時代の徒花たち

96年の時点で既に敗戦が濃厚だったハードを簡単に紹介する。
時代に逆行しているもの、低性能なもの、斬新過ぎるものと多様である。

3DO REAL  (松下電器)

3do
3DOとはハードの名称ではなく、米3DO社が提唱した規格名である。ハード名はREAL(松下)、TRY(三洋)となる。
1994年3月と、次世代機の中で最も早く世に出たハードである。ソフトは米EA社のものを中心とした洋ゲー路線のため日本では受けず、96年6月をもってソフト開発が終了している。
当時、スーパーストリートファイターⅡXが唯一遊べる家庭用ハードであった。

ネオジオCD  (SNK)

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高価格高スペックであったネオジオを、光学メディアによる低価格で普及させようとしたもの。
ソフトラインナップは非常に魅力的であり、ゲーセン族の期待は高かった。
しかし、コストを抑える代償としてCDドライブが等速であったことから長時間のローディングが余儀なくされることとなる。
同タイトルを拡張ロム実装のサターン版と比較した場合完全に劣っていたのだから衰退も已む無しである。

PC-FX (NEC)

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ハドソンとの共同開発によるPCエンジンの実質的な後継機ということから期待値は高かった。
しかし3Dポリゴンが全く使えず、ウリは動画再生だったことからもわかるように、時代の流れに対して完全に逆行していたと思われる。
その性能からソフトはアニメ関連やギャルゲーなどがメインとなり、マニアックな雰囲気は一般層に足を遠のかせる要因となった。
96年頃、ファミ通のレビューコーナーでFXのソフトが対象外となる。

スーパー32X (セガ)

32x
メガドライブの拡張ハード。実装することで32ビット級のスペックとなる。簡単に言うとディスクシステムみたいなもの。
一見サターンまでの繋ぎのように思えるが、発売はサターンより遅い。(プレステと同日)
開発は北米市場主導の動きであったらしいが、旧世代機を拡張して延命させることがタブー視される原因となるなど、酷評されることが多い。
1994年発売だが95年末にソフトの供給が終了している。

バーチャルボーイ (任天堂)

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1995年7月発売。スーパーファミコンとNintendo64の間を埋める携帯型ハード。
その特殊すぎるプレイスタイルと斬新過ぎる赤黒二色の世界は案の定受け入れられず、発売からわずか半年でソフトが出なくなった。
横井軍平が任天堂在籍時に携わった最後の企画であり、最大の失敗作であった。
低コスト開発であったため、業績にはさほど影響が無かったらしい。

ピピンアットマーク (バンダイ・アップルコンピュータ)

ぴぴん

1996年3月発売。
バンダイとアップルの共同開発。世界一売れなかったゲームハードとして有名。(約4万台)
モデムを内蔵しインターネット接続が可能であった。しかし販売戦略の不味さが影響しほとんど知名度を得ないまま1年後には生産終了している。
当時の流行りであった「マルチメディア」路線を目指していたが、結果的には3DOと同様の末路を辿る。

時代が変わる

一つの時代が終わって、次世代が台頭してきた様な高揚感があった。
家庭用ゲーム機での光学メディアへの移行、任天堂の王者陥落、携帯ゲーム機の躍進、アーケードでの格ゲー離れなど、後の未来へ繋がるもののルーツがこのあたりにあると思われる。

90年代も後半へと入り、バブルの熱を失ないながら来るべき世紀末へと向けて変わらざるを得なかった時代だったのではないだろうか。

世相は相変わらず暗かったけども、まだまだ子供だった僕らには関係なかったんだ。

おまけ

あの頃欲しくて欲しくてたまらなかったモノたち。
お金さえあれば20年経った今でも手に入れられる。すごい時代だねえ。

NIKE エアマックス95

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プレミア価格が20万超えしていたような。
結構な頻度で復刻版が出てるような気がする。
レイジレーサーのトンネル通る度に思い出す。配色が似てるんだよ。
存在感ありすぎて何着れば似合うのかわからない。

カシオ G-SHOCK ラバコレ96

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これもかなりのプレ値がついてたね。
他に高値だったのではイルクジとかスラッシャーとか初代フロッグマンあたりが記憶にある。
5600系(スピード)は未だに使用してます。

バンダイ たまごっち

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なんでこんなもん欲しかったのかな。
ポケモンと同時期で、育成がひとつのトレンドだったのでしょうか。
これで品薄商法というものを知りました。
ピピンがコケても痛くないわけだわ。

ではまた。

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