俺より強い奴には会いたくない
日本全国津々浦々、各地のゲームセンターでは強者たちがシノギを削っていた。らしい。
どうやら世の中ではすごく格闘ゲームが流行っている。というのは雑誌やテレビ番組なんかでよく目にしたので知っていたけれど、当時のゲーセンの熱気を肌で感じることはなかった。
僕が幼少期を過ごした札幌の南東部は畑と雑木林しかなかった野っ原をがりがりと切り崩してばんばんと家を建てまくった新興住宅地である。
まるでシムシティみたいな作りで、ある日唐突に現れた住宅地は本当にただ家があるだけの土地だった。
小学校の学区内にはコンビニやファミレスどころかスーパーも病院も無かったのだ。その後すぐに色々出来たんだけども未だに地下鉄もJRも走っていない。造成中にバブルが弾けたのが理由かもしれない。
当然のごとくゲームセンターなんか無かった。
それでもみんなスト2にハマっていたのだ。スーパーファミコンは偉大である。
僕が初めてスト2に触れたのは幼馴染のシュガ君(仮名)宅でだった。
リアルな等身のキャラクターがピョンピョンとスピーディに飛び跳ねては殴ったり蹴ったり投げたり燃えたりしていて、見てるだけなのに血がたぎる様な想いにかられたのを覚えている。
家に帰ってから布団の上で飛び蹴りや昇龍拳の真似をした。もう4年生とかだったのに。
当時はこの程度のグラでもすごくリアルに見えたんだ。
比較対象がくにお君とかだったから。ファイナルファイトは既にあったけどね。
その後、小学5年生の頃によく遊んでいたガマ君(仮名)宅で延々とスト2をプレイしていた。
ガマ君の家はアパートで、母親が夜遅くまで働いているのでやりたい放題だったのだ。
今思うと不思議なのだが、仲間内でも誰が強いとかそういったことはまるで考えずにただひたすらブラウン管に映るファイターたちを傷つけあった。
お互いに勝つことはさほど重要ではなかった。楽しめるかどうかが全てで、ラウンド開始からずっとブランカのローリングアタックやエドモンド本田のスーパー頭突きで相打ちを繰り返してはげらげら笑っていた。
昇龍拳なんてもちろん出したいときに出せない。
上手くなろう、強くなろうなんて意識は全くなかったんじゃないかな。
チュンリーが百烈キック(脚ではない)を繰り出しているところに波動拳を撃って、ヒットする瞬間をポーズ連打で確認したり・・・。←みんなやったと思う。
対戦するなら同じレベルの相手がいい。
全力でやって勝ったり負けたりするぐらいが一番面白いんだと思う。
俺より強い奴には別に会いたいと思わなかった。
そんな折り、登場したスト2ターボは衝撃だった。
確か93年の夏だったかな。アーケードではすでにスパ2が稼働していて、ガロスペに人気を奪われていたそうだ。
当然そんなことは微塵も知らなかったけど。
今となっては誰だよお前ら的なクドい顔グラも、修業を経て勇敢さが増したように見えた。いや、笑ってたかな。
そして何故かみんな知っていたスピード10の裏技。
↓R↑LYBXAは未だに指先が覚えている。
微妙にファミコン世代ではない僕らには、有名なコナミコマンドよりもこれや↑X↓BLYRA(カカカカカカロット)の方が馴染みがある。
スピード10は速い!はやいなんてもんじゃない。あれから25年経つけれど、ターボ★10を超える速度の格ゲーを目にした記憶はない。
バランスもクソもない速度だから当たり前だろうけど。
それでも子供の順応性というのは大したもので、そんな超スピードにも目が慣れてくる。そしていつの間にかそれが普通になってくる。
そうすると今度はあえて★0(またはノーマルモード)を選択して「月面バトル」的な遊びを始める。
すっかりスト2に飽きてしまってからも、引っ張り出しては何か面白いことができないかと試行錯誤していた。
子供の頃はそこにあるものを使ってなんとか楽しもうと努力していたんだな。
そういえば、ターボにはいくつかバグがあって、そのうちの一つにチュンリーの空中スピニングバードキックをキャンセルすると操作不能になるというものがあった。
やり方は
ジャンプ中に↓と中Kで相手を踏む。
踏みつけた反動で上昇している間に空中SBKを出す。
SBKが終了して落ちてくる間にもう一度コマンド入力する。
というもの。
この状態で勝利すると進行不能になるという誰も得をしないものです。
こんなただのバグでもドキドキしてたんだよなあ。