サッポロ タワゴト

北海道胆振東部地震 あの日のことfrom札幌市豊平区平岸

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 今更感があることを承知で少し書いてみる。地震が起きた日のこと。

平成30年北海道胆振東部地震

 

 今回の地震はこういう名称になったそうだ。今回の件で胆振(いぶり)という地名を初めて見た人も多いのではないだろうか。難読地名だなんて思ってなかったな。

 

9月6日未明、胆振地方厚真町で震度7
 

 その日僕は、深夜1時ごろに就寝した。前日に上陸して猛威をふるった台風21号は温帯低気圧となり、その影響のために9月とは思えない蒸し暑い夜だった。
足元では扇風機が回っている。就寝前は暑くても、朝目が覚める頃には肌寒い。なんともはっきりしない残暑に苛立ちつつ眠りの底に堕ちていった。

深夜3時を少し過ぎた頃、目が覚める。枕元のスマホで時刻を確認しながら、どうしてこんな時間に覚醒したのかをまどろみの中で考えた。

その数秒後、ものすごい揺れが木造2階建てのボロアパートを襲う。

もちろん音は無かったけれど、ドンという擬音が当てはまるような強い衝撃が唐突に下から来て、華奢なスチール製のロフトベッドが前後左右に激しく揺れ動いた。まるで洗濯機の中で撹拌されているみたいだった。
暗がりの中でも本棚やCDラックが前後に動いているのがわかった。棚の上に積まれた玩具やら本やらがドサドサと落ちて床に散乱した。

それはこれまでに体験した中でも最大級のものだった。そもそも札幌近郊は今までに大きな地震が起こったことがほとんど無いのだ。
7年前の3月11日、僕は会社の旅行のために九州にいた。千歳発の飛行機が福岡に着いた直後に地震が起きたらしい。僕は311の揺れを体験していない。これ以降、共有体験を持たない者として幾ばくかの断絶を感じて生活することになったという経験がある。

揺れが収まった頃、条件反射の様にスマホで情報収集を始めた。リアルタイムで今の揺れに対しての反応が画面を埋め尽くす。

その辺りで扇風機が止まった。ベッドから這い出て確認すると停電したようだった。事態は思ったより深刻なのかもしれないと思った。

窓の外が白み始めたので外へ出てみることにした。少し前から外では人が往来している雰囲気があったのだ。

自転車で近所を徘徊する。わずかに肌寒い。僕の住んでいる札幌市豊平区の平岸~美園周辺は家しかない住宅地だ。普段なら早朝4時に人が歩いていることは珍しい。
いくつかのコンビニの前を通ると既に行列が出来ていて、その列は店外まで続いていた。見たことのない光景だった。非日常さの中に妙な興奮を覚えた。ほとんど寝ていなかったが、精神が高揚して眠くはなかった。

自宅に戻る。部屋にいても落ち着かなかったので、車のエンジンをかけてスマホを充電しつつ、ラジオの音声に耳を傾けた。
最初の一報では安平町で震度6とのことだった。安平…、と聞いても位置がよくわからない。確か昨年の夏、穂別(むかわ町)の友人宅に行った際に通ったところが安平だったかなという程度の認識。
後に最大震度は厚真町の震度7と訂正される。

午前5時、電話が入る。会社の先輩からだった。緊急連絡網ということで、出社できる人は出社してくださいとのこと。上司は既に会社についているらしかった。
ガスと水道は生きていたので簡単に朝食を作った。目玉焼きと荒引きウィンナー。レトルトの米飯を湯煎でもどす。冷蔵庫の中が暗い。このまま電気が復旧しなければ、中のものはただのゴミになるなと思った。

朝食を済ませた後、家を出た。行かなくてもよかったのだが、家にいても何も出来なかったからだ。

地下鉄が死んでいるという情報が入ったので、自転車で会社に向かった。会社のある豊平区月寒東までは約4.5キロ。車だと15分、徒歩と地下鉄では40分、自転車なら30分かかる。車は生憎ガソリンがほとんど無かった。

会社に向かう途中、何より驚いたのはほぼ全ての信号機が止まっていたことだった。

札幌の南東部を貫く国道36号線は普段から車の往来が激しく、まして出勤時間ともなれば市内屈指の交通量を誇る札幌の大動脈である。
そんな36号線の信号が一つとして点いていない。
幹線道路との交差点には警察官が立って手信号で誘導しているが、全体から見ればそんな光景はほんの一部だ。ほとんどの交差点はドライバーのさじ加減一つで進んだり止まったりしていた。
以前訪れたことのある中国の北京のようだった。地下鉄が動かない分、自動車も歩行者もいつも以上に多く、氾濫した川のような雰囲気があった。

会社に着く。
当然のごとく停電している。電気が無ければ何も出来ないので、各々その日予定に入っていた顧客にキャンセルの連絡を入れ、一通り処理が終わった後、午前9時前には解散になった。
会社での滞在時間は1時間ほどしかなく、すぐさま帰路に着く。

 

お金がない!

 

 この時一番焦っていたのが手持ちの現金が無いことだった。
僕は普段からあまり現金を持ち歩かず、クレジットカードでの支払いか、現金が必要になったらコンビニのATMから引き落とすということを繰り返していた。

手数料を気にしなければいつでもどこでも現金を引き落とすことができる。
しかし北海道全域で300万世帯が停電となった今、当然のごとくコンビニATMは動かない。周辺の銀行もシャッターが下りたままだった。

前日の通院で出費があったため、財布の中には200円足らずしかなかったのだ。

札幌中心部を目指して自転車を走らせる。豊平区みたいな郊外では閉まっている銀行も、大通まで出ればきっと開いているだろうという希望的観測からだった。
豊平橋を渡り中央区へ入る。橋から望む豊平川は前日までの台風の影響で褐色に濁り、空の青さとのコントラストが印象に残っている。

木曜朝の大通周辺は独特の気だるい空気に包まれていて、災害時の緊迫した雰囲気をまるで感じさせなかった。
秋晴れの中、街路樹の枝葉から差し込む木漏れ日が心地よかった。
こんな時間に中心部にいる自分に違和感を覚える。

銀行に着くも、開いている様子はない。が、傍にいた私服姿の行員が窓口は閉めているがATMは使用可能であると教えてくれた。着替える暇も無く業務にあたっている行員を見て非常事態なのだと改めて思わされる。
3万円を引き出し財布に納めると、少しばかりの安堵に浸ることが出来た。

煙草が吸いたいと思った。最後の一服からすでに5時間が経過していた。

 

セイコーマート

 

 銀行からの帰りしな、開いているコンビニを探す。

大通から豊平までの間にファミリーマートとローソンがいくつかあったが、どこ店舗も閉鎖されている。
大規模停電中なのだから店を開けることが出来ないのは自明の理だ。しかし、早朝見たようにセイコーマートは開いていたのである。

セイコーマート豊平店(店名は便宜的なもので正式名はわからない)前には人だかりが出来ている。外から見ても店内は暗く、営業しているようには見えないが、普段コンビニで買うとは思えない量の食料品を両手にぶら下げた人たちが店から出てきており、どういう理屈か開店しているらしかった。

中に入るとレジから入口まで長蛇の列が出来ており、列は通路を塞いで自由に商品を選ぶことが出来ない。列に並び少しずつ進むたびに手に取れる範囲の商品をカゴに入れるというシステムが出来上がっていた。

普段は行列に並ぶことが嫌で、有名ラーメン店などには行かない主義の自分でも背に腹は替えられず黙って最後尾に着いた。会社や学校が休みになったため、子連れの親や学生、主婦など客層にまとまりがなく、不思議な雰囲気があった。そして誰も彼も大規模災害の被災者のはずなのに、なぜか楽しそうであった。キャンプの前の買い出しにも似た様子で商品を選んでいる。
遠く離れた震源地のことはわからないが、ここ札幌では地盤沈下の様な甚大な被害があったのはごく一部であり、大半は停電と停電に伴う断水(マンションによっては電気が無いと水が出なくなる)だけが問題であった。
「だけ」とは言っても大規模停電は十分に大きな被害であり、生活に深刻な打撃を与えている。
しかし目に映る被災者の姿はどこか楽観的であり、非日常的な状況を前に浮足立っているようにも見えたのだ。

ワクワクしている。というと不謹慎な表現だろうが、実際にそういった空気は充満していた。外が暖かく、天気が良かった為に必要以上にナーバスにならなかったということがあるのかもしれない。実際、よく言われたように、これが2月だったならこうも言ってはいられなかったのではないかとも思う。

311の時にも言われたが、こういう時、辛い食料品は売れないようで、スナック菓子やカップ麺はあらかた狩りつくされてしまったが、辛さを売りにしたものは最後まで残っていた。
あと、酒類が全然売れずに残っていたのも印象的だった。仕事も学校もなく、電気が来ないから何も出来ない時は飲酒に走りそうな気がしないでもないのだが、恐らくは喉が余計に乾いてしまうことや車の運転ができなくなることが理由ではないかと思えた。僕は酒を飲まないのでよくわからないが。
タバコもある程度は揃っており、311のあと、主要銘柄が根こそぎ棚から姿を消したことを鑑みると不思議な光景だった。この10年の間に喫煙者は想像以上に数を減らしたようである。

僕はセブンスターを2つと炭酸水500mlを2本、パスタとマカロニ(何で買ったかわからない)、あと幾つかの菓子を買って店を出た。
自宅は今のところ断水していなかったので、空のペットボトルに水道水を入れておけば何日かは持つだろうと思った。
こんな状況でもレジではセイコーマートカードの提示を求められた。ポイントカードの類が嫌いなので持ってはいないのだが。

現金の引き落としと買い物を終えたことで幾ばくかの安堵が心に宿った。小学生の時の、風邪をひいて学校を休んで病院から帰る時のような心地よさがあった。

帰宅したが、何もすることがない。家にいてPCの点いていない状況だと僕は何も出来ないようだ。
携帯電話の回線が不安定でスマホでのネット接続が困難だった、という話を後日聞いたのだが、僕の使っているスマホは特に問題なくネットが見れたし、ヨドバシカメラの販売員に丸めこまれて買ってしまったYモバイルのタブレット端末も生きていた。モバイルwi-fiも問題なく使えたので情報の断絶された環境ではなかった。バッテリーの充電も車のエンジンをかければ済む話だった

耳が寂しかったのと状況把握を兼ねた意味でタブレットでラジオを流した。周辺に知人友人がいない僕にとってはラジオはなかなかにありがたい存在だった。加えて、ラジオを流すだけならばタブレットのバッテリーはほとんど減ることがなかった。

空いた時間を使って溜まりに溜まった未読の本を消化しようと試みたが、妙な高揚が落ち着きを妨げて一冊も読むことができなかった。

 

そして夜が来る

 

 14時ごろ、横になったまま寝入ってしまい、目が覚めたのは17時ごろだった。ラジオは点いたまま。アナウンサーが同じことを何度も繰り返し伝えていた。
札幌の日の入り時刻は18時03分とのこと。未だに通電はしていない。このまま夜を迎えることは明らかだった。
車にはガソリンが少量しかなく、スタンドはどこも長蛇の列という情報もあり、身動きが取れない。どこへ行く宛ても無いのだが。

僕の実家は自宅から直線距離で7kmほど先にある、液状化現象が全国的に報道された清田区里塚にほど近い平岡である。平岡は読んで字のごとく丘陵状の地形になっており、沢を埋め立てた隣の里塚とは異なり大きな被害がなかったらしい。しかも16時ごろにはすでに通電したらしかった。
日の入りを前にtwitterでは通電報告がぽつらぽつら流れ始めており、特別実家が早かったわけではないのだが、あとから見れば十分に早い方であった。

完全に日が落ち、部屋は暗闇に包まれる。車内に備えてあった懐中電灯を持ちだす。
コップ状のものに懐中電灯の光源が上を向くように縦に入れ、コップの上に水の入ったペットボトルを置くと簡易的なランタンになる。という情報があったが、自宅には懐中電灯が縦に入るようなコップも、コップに収まるような懐中電灯も無かった。
仕方なく懐中電灯に紐を付けて洗濯物を干すために付けてある突っ張り棒にかけて吊るした。頼りない光。
空襲におびえる戦時下の家庭のようだった。

スマホでネットが観られる状況であっても暗がりの中でじっとしているのは精神衛生的に良くないと判断し、とりあえず外へ出る。

まだ19時前とは言え、いつも以上に人の行き来がはげしい。おそらく誰もが何となく散歩をしている。街灯が消えた通りはところどころにすでに通電した家の灯りが見えるが、普段と比べて圧倒的に暗く、時間の感覚が狂う。

肉を焼いている匂いが漂う。自宅の前でBBQをしている家庭が何件かあった。愉しそうに会話が弾んでいる。通りを歩くカップルは星が綺麗だと言い合っている。陰惨な雰囲気は全くなく、僕がかねてから想像していた被災というものとは全く異なる景色があった。
冷蔵庫が死んでいるので肉を焼いて食べてしまうのは合理的ではあるのだが。

ほどなくして自宅に戻る。
大して時間もつぶせず、特にすることも無いのでまた布団の中に入った。色々と考え事をしているうちに寝入ってしまった。

午前4時ごろ目が覚める。地震発生から24時間。ブレーカーを上げると通電した。
たった1日のことなのにえらく長い間電気が使えなかったような気がした。
ここで僕の被災者体験は終わる。
電気が点いてしまうともうほとんど日常といって差し支えなかった。

この日も会社はまだ停電とのことで休みになり、あれだけ困難だったガソリン給油も日曜には通常に戻っていた。

10日月曜からはまたいつもの日常が始まってしまったのだった。

 

備蓄

 

  つまるところ、僕の住んでいる地域においては今回の地震による被害は大したものではなく大事には至らなかったのだけれど、こういった大規模な災害というものをどこか自分には関係の無いものととらえていた節があったことは事実としてあり、それなりに災害に対する備えということをしておかなければならないと改めて思わされた次第です。

具体的には

・ガソリンは常に半分以上入れておく

 有事の際の車での移動は推奨されないにしても、電気が使える空間として自家用車は価値がある。
もし、今回の地震が真冬に起きたとしたら生存率がぐっと下がることが予想されるが、自家用車が使用出来れば暖をとることも可能になる。

 

・現金を持っておく

 金がないと手に入るものも入らなくなる。電気が止まればATMは使えないし、カードも不可になる。

 

・保存出来る食料を備えておく

 災害時の備蓄として思いつくのはカンパンだが、日常的に食べるものではないのであまり現実的ではない気もする。
カップ麺やレトルトの米飯は普段から切らさないようにしているので、今回もあまり不安は無かった。
しかし大半の保存食は炭水化物中心のもので、タンパク質が摂れないというのは結構見落としがちな点だと思う。
自宅にはプロテインがあったので問題なかったが、災害備蓄としてプロテインを持っておくのも悪くない選択だと思う。

 

ランタンや発電機、電池など挙げればきりがないので書かないが、普段からどうとでもなるようにしておければ有事の際の心持ちも軽くなるのではないでしょうか。

-サッポロ, タワゴト

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